3月21日、長野県社会福祉総合センターでおこなわれた、前川喜平さんと「親・子・みんなで考える 勉強ってなに?憲法ってなに?」(実行委員会主催)は本会場、第二会場いっぱいの450人の参加でした。感想もたくさんお寄せいただきました。一部を紹介します。
【親子学生席】
・勉強のことについて、前川さんが話してくれたことがよく分かったので良かったです。学ぶという意味は自分から進んで学ぶことだと分かりました。(11歳)
・勉強や憲法についてわかりやすく思っていることを話してくれてありがとうございました。これからもがんばってください。(13歳)
・まさに「生きた教材」としてもお話しを子どもに聴かせてあげたくて参加しました。宿題の質問をとりあげていただいて、前川さんの口から「宿題なんてやらなかった」「先生と真剣に話し合ったらいいんじゃない?」という声を聴いて、子どもがその声を受け取る、そんな機会を与えて下さり、感謝しています。今後も頑張ってください!!(45歳)
・元文部科学官僚でないと分からない今の政治の現状について聞けてよかった。(19歳)
・恥ずかしながら、大人になってから、憲法は国民が守るものではなく、国が守るもの、私たち国民は、ちゃんと国が守っているか監視しないと、などなど知り、もっと早く認識していれば・・・と思いました。子どもたちにもわかりやすいご講演ありがとうございました。若い頃しっかり勉強すればよかったと後悔もありますが、今からでもしっかり勉強したいと思いました(52歳)
・小4のめいと参加しました。前段のご講演では、難しいことをかみくだいた素晴らしいものでした。後段のディスカッション、子どものあけすけな質問と応答は実に面白かったです。(43歳)
・前川さんの勉強や憲法にかんしてのお話しを聞けて嬉しかったです(10歳)
・子どもにとっては少し難しい内容もあったかもしれませんが、参加した子どもたちは何を感じ、何を学んだでしょうか。その点がすごく気になります。子どもたちの質問はストレートでよかったですね。点数をとるために勉強するのではないということはとても共感しますが、全国学テについてはどう考えているのだろうか等、様々な疑問も残りました(34歳)
・子どもと一緒に来ました。講演、ディスカッションとても有意義でした。学校の教科だけでなく、なんで勉強するのか国会、平和まで子どもといろんな話しをしたいと思いました。(40代)
・分かりやすかったし、面白かったです。でも、年齢差が大きすぎて質問しづらかったです。「みんなで考える」って大切だと思うけれど、テーマとか年齢をもう少し狭めた方が良かったんではないかな、とも思いました。(16歳)
【一般席】
・講演は子どもさんを対象にしてお話ししてくださったおかげで、老年に近い私にもわかりやすかったです。義務教育を「無償普通教育」と言い換えて、国の責任で保障すべきということが、そのとおり!!と頷きました。憲法を「改正」するよりも今の憲法をきちんと政策で実現させてほしいです。子どもさんたちの質問意見もすばらしかったです。こういう企画は良いですね。(57歳)
・国会での前川さんの毅然とした態度に心から感動していました。今回の愛知県のニュースにも応援する人たちが広がっていることと思っています。個が立ち上がることで伝わっているのですね。今日の講演も人格を身体で感じ取りました。ゆったりとしたいいお話でした。(68歳)
・前川さんのお話しは分かりやすく楽しかった。こどもさんからのこどもらしい質問がおもしろかったし鋭かった。その質問に対する前川さんの説明が特に印象にのこりました。とってもいい企画でした。豊丘村の生徒さんのお話しにじ~んときました。前川さんはとっても朗らかで魅力的な方でした。今時の人、前川さんのお話しを企画していただいた皆さんに感謝します。(57歳)
・分かりやすい話でした。日ごろ考えていることをなかなか人に伝えることばが見つかりませんでしたが、少し自身のようなものができました。ありがとうございました。(70歳)
・この企画を立てた方々すばらしいです。前川さん、きいている人の層が幅広く話す方も大変だったと思いますが、「自分でしっかり考える人が頭がいい人」との発言で、子ども達の質問もとても自由で子ども達の発言が私の発想の中にないこともあり、改めて、私にとっても新鮮なお勉強会でした。私も40歳で学ぶことの楽しさを知った1人です。(70歳)
・主催者の意向を一方的にお聴きするだけでなく、参加者とのディスカッションを入れる企画は素晴らしいと思いました。講師が今話題の人物だからだけでなく、今、皆、憲法にどう対処したらよいか迷っている人も参加しやすい企画なので、こんなに多くの人々が参加するのだと思う。(80歳)
・前川さん圧力に負けずに頑張ってください!!「幸せに生きていくために学ぶ」今本当にそう思えます。大人になってから学ぶことの楽しさ大切さを感じてきました。大人が学んで賢くならないと政治も世の中もよくなりませんね。高級官僚であった方とは思えないくらい感覚的にものすごく近い方だなと思いました。子供達とのやりとりすごくよかったです。大事なことですね。豊丘村の平和学習すばらしい!!こういう子供達が増えてほしいです。(65歳)
・政治を身近に感じる事が出来ました。1926年生まれですので戦争の中で育った世代です。明快な世の中で生きていけることを願っています。(92歳)
・面白い話しでした。私は34年、教員として文科省を敵に思ってきましたが、人は人にあたって話を聞いてみなければ分からないものだと一面的な見方を反省しました(56歳)
・「幸せに生きていくために学ぶ」「自分の頭で考えることが大事で、常に疑問を持っている必要がある。自分で考えることに関して自分に質問してみることも大事」
・「頭がいい人は『自分で考える人』のこと。教科書や人から教わったことを覚えているだけの人は「覚えが良い人」「記憶力のいい人」。今の官僚には「記憶力のいい人」が多い」
・「勉強という漢字は勉める、強いると書く。つまり非常に苦しい、きついという意味になる。それに対し学問と言う漢字は学ぶ、問うと書く。同じ学ぶという意味で使うならば、学問と言う字はとても適した言葉、漢字と言える」
・「歴史を学ぶことで今を見つめ直し、現在の生き方を学べる。理科は幸せに生きていくためには必要。放射能も添加物も知らないと身を守れないこともある」
・嫌いな言葉は「偏向」「反日」「自虐」
・「『宿題をやらなくても100点をとれるのですが?』という質問を先生にして、真剣に話し合ったらよい」
・「国を縛っておくのが憲法。国民をいじめたり、戦争にかりたてないようにしたりするもの」「日本国憲法は人類普遍の原理。共通に大事にしないといけない考え方」
・「社会権とは国が国民にしなければならないこと、生活保護であったり教育など。自由権とは国からは国民が縛られないこと、表現・言論の自由や結婚の自由など」
・「憲法を勉強していない人が、憲法を勉強していない人に、憲法改正を提案している。非常に危ない」「憲法を改正するには、まず憲法をよく学ぶこと」
・「憲法を失うと、国という魔物が台風のように大きくなり、国民を巻き込む。国民は国に従えという道徳を押し付けてくる。今もなりかけているから、注意してください」
・「道徳の教科化は極めて危険だが、『主体性のある子ども』に育てるには教師が『主体的』でなければならない」
・「18歳選挙権が始まって、憲法の学習はまったなし」「18歳選挙権で、文科省も総務省も選挙の仕組みだけあわてて指導するガイドブックを配った。本来、主権者教育というのは、社会のあり方を自分で考え、議論して、社会の課題を見いだすことが大事」
・「授業への介入は前代未聞。教育基本法が禁じる不当な支配に当たる」
・「文科省に問い合わせた議員は、とても偏った思想の持ち主。文科省の役人が政治家の恫喝に負けてしまった。跳ね返すことはむずかしくても、かわさなくてはいけない。情けない」
・「総理や官房長官だけでなく、官邸の周りをとりまく『官邸官僚』も含めて、官邸の力が肥大化している。『官邸』をとりまく『官僚』のあり方が注目されている。『官僚』は『誰かにお仕えする』のではなく、『国民に仕える』のが役目」
・「権力が大きくなりすぎて暴走しないように立法や司法が見張っているのだけれど、今の国会では内閣の与党が多数を占めると、立法も司法も内閣につながってしまう。野党が国会で勢力を伸ばさないと危険な状態。ドイツではかつてワイマール憲法という優れた憲法下にありながら、選挙で『ヒットラー』と言う独裁者を選んでしまった」
・「本当のことを話すと、幸せになれる。本当のことを言わないと、やっぱり苦しいばかり。『佐川事件』なんて言われ方は本当に気の毒。本来はこれは国有地不当払い下げ隠蔽(いんぺい)事件。佐川さんの事件なんて言うのはおかしい」
長野県豊丘村に住んでいます。小学校を卒業しました。6年生のとき、総合の時間を使っていろいろなことを勉強しました。
6月の音楽会で「平和の鐘」を歌うことになり、その歌は沖縄の平和を歌う唄だったので、簡単な気持ちで歌えないという気持ちになって、たくさんの戦争の本をクラスで読みました。
音楽会は終わったけど、戦争のこと、特に沖縄のことは気になっていて、なんで戦争は終わったのに沖縄の基地はあるのか?ということで総合の時間のテーマは決まりました。本などで調べ物をしているうちに、村の施設で石川文洋さんの写真展があることを知り、クラスで見にいきました。そのあとで先生が石川文洋さんと連絡をとり、話を聞くことになりました。ベトナム戦争で沖縄から飛行機が飛んでいったことを全然知らなくて、みんなすごくびっくりしました。
次に満蒙開拓のことをしっている人がいて、身近だから調べやすいということで学習をはじめました。年が明けて、阿智の満蒙開拓平和記念館に行きました。被害の歴史だけど、加害の歴史であることを知って驚きました。さらにたった一人引き揚げで帰ってこれた、久保田諌さんの話を聞くことになりました。集団自決になって、年上の人たちと石で殴り合い、気絶したけど、二人とも生きていて、気がついたけれど、まわりの73人は全員死んでいて、現地で使っていた苦力頭の人に助けをもとめ、助けられて帰ってこれたと聞きました。久保田さんは、「食べ物を粗末にするな」ともいい、それから給食は残ることはなくなりました。先生から言われたわけでも、みんなで話し合ったわけでもありません。苦手なものとかある人がいるんだけど、その人は食べられる人にたべてもらいます。
総合の時間のことは、参観日で発表もしたけれど、豊丘村は満蒙開拓に行っているのに、お母さんたちは知らなくて、なんで知らないんだろう?と思いました。
今日は皆さん、お集まりくださいまして、ありがとうございました。
おかげさまで本会場、第二会場合わせて450人もの方にお集まりいただきました。
私は上田市に住む山本と申します。今度小学三年生になる双子を育てる母親です。
今日は実行委員として、また、子育てや教育に悩む一人の母親として、参加させていただきました。
前川さん、今日は本当にお忙しいなかをお越しくださいまして、どうもありがとうございます。
また、司会進行をしてくださった清水まなぶさん、どうもありがとうございました。
皆さんは、今日の前川さんのお話を聞いて、希望を感じましたか。
明るい未来を感じましたか。
自分のやりたいことがみつかりましたか。
答えはきっと出ていないと思います。
なぜなら、それが「生きていること、学んでいること」だからです。
私たち「前川喜平さんと学びあう会実行委員会」は、長野県内のさまざまな市民グループや子どもの未来を考える団体、母親同士がつながってできたものです。
それぞれがこれまでに子どもの教育について、支援について話しあい、また、今回の実行委員長である岡田和枝弁護士を講師に招いての憲法を学ぶ会なども行い、活動してきました。
その「憲法」と子どもが成長する際に必ずかかわる「勉強」との繋がりについて知りたい、考えたいという声が上がり、この企画に至りました。
私はこれまで、憲法を学ぶ機会がありませんでした。
学校では憲法を教えてくれませんでした。
正直、非戦を謳っている憲法9条くらいしか知りませんでした。
けれど、子どもを育てるにあたり最近の社会情勢が気になって、そこから学び始めた憲法には、私たちが自分らしく生きていく、学んでいくことについての基本が描かれているのだということを知り、驚きました。
いまの子どもたちをとりまく環境は、一筋縄ではいきません。
「家庭教育」という名のもとに国や自治体が学校や家庭に介入し、また家庭での子育てが難しくなっていき、それも教育現場は受け入れざるを得ず、家庭も学校も息苦しくなっていく…
そんな真ん中にいま、子どもたちはいます。そして私たちはそうでないと子どもを育てられない気がしてしまっています。
けれど、憲法から学ぶと、教育も子育ても、まったく違った世界がみえてきます。
大人も、子どもも、みんな一人ひとりが自分の思うように自分の道を考えていい。
自分が思うように生きていい。
自分が、いい、やりたい、と思ったことを、縛られず、忖度もせず、のびのびと考えていいのだと。そしてそれが間違った方向にいきそうになった時だけ、他者が軌道修正する。
けれどそこにはお互いを大事に思う、尊重する気持ちがあります。
それぞれが、命を大事にし、個人を大事にする、それを学ぶことに大人も子どももありません。
条文だけでない、憲法。
成績だけでない、勉強。
忙しい毎日のなかで、心の真ん中にひとつ、大切なものを私たち全員が共有し、それをまた自分の大事な人に伝えてゆく、それだけで、社会はよりよく変化していくのではないかと、思っています。
3月21日に元文科省事務次官の前川喜平さんをお招きして、「親・子・みんなで考える 勉強ってなに?憲法ってなに?」を開催しました。
お話の中には「勉強は幸せになるため」や「100年前の歴史は今につながっている」また今の憲法問題については「憲法を学んでいない人が憲法を学んでいない人に憲法を変えようと言っている」といったお話がありました。
前川さんが話の中で特に強く話していた言葉は「と、僕は考えます」という言葉です。
私たち実行委員会が学びあう会と名前をつけたのは、参加した人が様々なことを感じ、考え、明日への希望になるような会にしたかったこと。そして、その場で答えを出す会にはしないこと、を大事にするためでした。
僕はこう思います、考えます、みなさんはどうでしょうか。そんな投げ掛けを前川さんから何度も受け取りました。
もちろん中には「そうだな」と自分の考えの軸にしたい言葉もたくさんありました。
けれどそれは「答え」を与えられたのではなく、元々の自分の頭の中で考えていたからこそ、その言葉で腑に落ちるきっかけになったのだと思うのです。
ただ聞いた言葉をそのまま「答え」にしてテストの解答欄に書かなければと覚えるように頭に入れるのは本当の学びではないはずです。
会の中では小学生から大学生までの子どもや学生も参加し、一時間のディスカッションでは学校や勉強への率直な疑問を話しました。
豊丘村の6年生はクラスでの平和学習について話をしてくれました。1年間を通して総合の時間を使い沖縄基地のこと、自分達の住む豊丘村が満蒙開拓によりどんな歴史を辿ってきたのかを学びました。
それらは平和の鐘という歌をきっかけに自分たちから知りたいという気持ちが生まれ、学習をしていった結果たどり着いたものでした。提案され与えられた資料からではなく、自分たちで考えたり写真展を見たり、戦争体験者に会って話を聞いたりしたそうです。
食べ物を粗末にしてはいけない、という話を聞いた後、クラスで給食を残さなくなったのも、決まりや先生に言われたことではなく一人一人が感じたことを行動にうつした結果ではないでしょうか。
見たり聞いたり知ったことが、頭にだけでなく心にも残るものがあればそれが本当の学習ではないでしょうか。
答えは1つではない。子どもたち一人一人違っていいのです。
勉強についての様々な意見を聞き大人も改めて学校ってなんだろう、学びってなんだろうと考えさせられました。
子どもたちの成長の大きな部分を担う教育現場では今、本当に民主的な人間形成のための学びができているのか。さらには今その現場にも権力から介入されている中で教職員や学校はどこまで闘えるのか。
全てに通じているものはやはり憲法に他なりません。
答えを与える学校ではなく、共に答えを探していく学校に。
教育は今、本当の在り方を問われています。
子どもたちが学校で「なんで勉強しなきゃいけないの?」と思うように
私たち大人もまた「なぜ学び続けることが大切か」を改めて考えていきましょう。
歴史に学び今を考える。そのときにはいつも
「こころの真ん中に憲法を」