「石の鐘の物語~いね子の伝言~」から
…その夫も五十代であの世のひととなってしまいましたので、わたしが、京都へ行き、西本願寺で修業や研修を受けました。
その修行中に、よく知らされたのは、あの戦争の時代に、仏さまの教えに反して、戦争協力してしまったあやまちですね。
わたしの夫は、父の言葉をひきつぎ、また、石の鐘へのわたしの思い入れを、よく理解してくれるひとでした。だから、
〝まだまだ、あれは下せない時代だよ。きみが心配していたような時代が、また来てしまっているじゃないか〝
などと語りました。
なにしろ、日本の敗戦から五年で、朝鮮戦争、やがてベトナム戦争。それが長くつづいたと思ったら、イラン・イラク戦争じゃありませんか。
このこんらんが、尾をひいて、中東や北アフリカでは、新しいかたちの戦争がおこって、終わるけはいがありません。
夫が病にたおれて、死の床でつぶやくようにいっていた言葉は、
〝どうして人間は、カメやカタツムリのように、仏さまに生かされていることに気づかないのかね。おたがいのそんざいを、みとめ合ってだよ。――たちがわるいな〝
といった言葉でした。
父が、しばしばもらしていた言葉につうじます。
夫は、そのなげきを背負ったまま、あの世へ旅立ってしまいました。
ですから、これからは、わたしの出番です。
このごろは、とくに、戦争、紛争、民族や宗教のちがいによる、泥沼のようなたたかいが、ひどくなりましたね。
日本も、それとは無縁ではいられなくなりました。いえ、無縁というよりも、それに手をかすことに、なんの疑いももたない人たちがふえてきています。
それでは、ますます、石の鐘を下す気持ちにはなれません。
※発刊前の本の原稿ですが、作者の和田登さん(映画「望郷の鐘」原作、児童文学作家)の許可をいただき、引用しています。
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