私は1945(昭和20)年国民学校1年生だった。当時の記憶はおぼろげで、はっきりとは覚えていないが、いくつか鮮明な場面がある。
学校では毎週月曜日に全校児童が講堂に集まって校長先生の話を聞いた。話の内容は一つも覚えていない。校長先生の話の前に教頭先生が壇に上がって号令をかけた。あるとき、教頭先生が壇上から下に飛び降り、列のなかに飛び込んで一人の子どもの顔を叩いて壇に上がった。講堂のなかはシーンと静まり返った。私は恐ろしくてたちすくんだ。
「兵隊さんをお迎えする」ということで隣部落の神社に行った。道の両側に並んだ私たちのなかを、白い箱を抱いた女のひとを中心に数人が歩いてきた。「礼」の号令で頭を下げたが、兵隊さんは来なかった。「兵隊さんはいつ来るのだろう」と思っているうちに、お迎えの式は終わって学校に帰った。こういうことが二度ほどあったような気がする。
終戦の詔勅は「重大放送があるから聞くように」とのお達しがあり、ラジオのある家に近所の人が集まった。
我が家には数人が集まって放送を聞いた。天皇の言葉は難しくて私はもちろん大人たちもほとんどわからなかった。しかし、 わかる部分をつなげると「日本が戦争に負けた」ということは理解できた。
母親は近所の親戚にこの知らせを伝えに行ったが、その途中で親しくしているAさんに行き会った。彼は満州事変のころ中国に出征して、帰国していた。 彼は母の話を聞くと「日本が負けたでごわすか。わしらがやったことを今度はやられるでごわすな」と言ってみるみる顔色が土気色になった。
その言葉を聞き、その顔色の変化を視た母親は「この人たちは言葉で言えないようなひどいことを中国でやってきたに違いない」と確信したようである。そして、戦争の話になるとこの話を繰り返し私に語って聞かせた。
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