5年前、息子の誕生日の次の日
「ひどいけれど、自分たちが政治に参加してこなかったツケなのかもしれない」
強行採決を見た自分の思いが久しぶりに読み返した日記に書いてありました。
政治のことはテレビで見ながらも選挙に積極的に参加せず、たいがいだめだなーとか他人事に考えていた自分が初めて自分の事として捉えた政治問題でした。
今まで自分は何をしてたんだろうという思いと同時に、今からでも知っていかなければと焦りを感じていました。
安保法制では憲法を無視して法を無理やり変えただけでなく、自衛隊員の命に関わることがたった短い期間で決められてしまったことに強い憤りを感じました。
自分の生きるこの国は命を大切にする政治をしているのか、という視点でずっと、自分なりに考えてきましたが、見えてくる現実はあまりにも命と心を軽視するものでした。
家事をしながらニュースに苛立ち、ラジオを聞きながら落胆し、新聞を読んで改めてひどさを思い知る日々に、この5年間で私の眉間のシワはかなり深くなりました。
近畿財務局職員だった赤木さんの問題では、自分のやってしまったこと、やらされたことを悔やみ、悩み続けた1人の命、失ってしまった命をこの国の政治がどう見るのかがハッキリしました。
生きていくのも辛い
思いを残して絶たれた命が報われない
残された家族が知りたいことも知らされない
こんな国は先進国とは呼んではいけないと何度も思いました。
最低限にさえ生きていくための公助が削りに削られた中で、更には自助を求められています。
自らの国と、自らの生き方をいつも諦めてしまう、闘う気力さえ持てず、頑張ろうとしても顔や名前も分からない人間に攻撃を受ける。こんな国は他にあるのでしょうか。
最近大きな話題になっている人種問題、人権問題で大坂なおみさんが身をもって私たちに訴えていることは何でしょうか。あの時政治に問題意識を持たなかったら私はその問いさえ受け取れなかったでしょう。
大坂なおみさんは自分の行動を、周りの意見よりも自分の生き方として決定をし、そして自分の考えを答えとして提示するのではなく「あなたはどう感じるの?」と問いました。この姿と言葉にはっとさせられました。どこかで、大坂なおみさんから発されるマスクに込められた思い、メッセージをまず知りそこに共感しようとしていた自分に気付きました。
常に、私は何を知っている?
それをどう考える?
これから何を知らなければならない?
そこを出発点にして考え続けていかなければと改めて感じました。
5年間に起きた様々な問題の根底にあるのはいつも人権でした。
憲法を学ぶ中でそのことを知り、人権を軸に考えた時、学校教育や政治、生活に関わる全てのことにおいてルールや法律、対応もとらえかたも、少なくとも誰かの人権を踏みにじってまで実行されていることは間違っていると分かるようになりました。
そして、政治のことも、批判だけでは進めない。自分たちで小さくても権利を勝ち取ることで、生きていくパワーにつながるのではないかと感じています。
そして、何かを見る時、知る時、いつも自分がどう思って、それから自分がどうしていこうと思うのかを必ず念頭におきたい。
疲れてしまう時も
楽しいことだけに溺れたいときも
いろんな時があるけれど、
いつもいろんなことを考えながら、背中を押してくれる大切な人たちの力を借りながら、
私の生き方は明日からも、学ぶこと、考えること、そして権利を掴み取るための努力を続ける旅になります。
(2020年9月19日 長野駅前)
今日は安保法制成立から5年です。長野市からです。
— 憲法かえるのやだネット長野 (@yadanetnagano) September 19, 2020
毎月19日、「安倍政権には改憲させない」と街頭行動を続けてきました。この目標は達成しました。引き続き、暮らしや社会を憲法、人権に照らし、点検していきます。
学ぶこと、考えること、小さくても権利をつかみとるための努力を続けます。 pic.twitter.com/pzohGuPznc