安倍首相は防衛大臣による名簿の紙媒体での提供要請に対し6割の市町村が閲覧にとどめていると問題視し、憲法改正を主張していますが、憲法問題を理由に紙媒体での名簿提出を行っていない自治体はありません。住基法は「閲覧」こそ認めていますが、名簿「提供」までは認めていません。市町村が紙媒体での提出ではなくて閲覧を認めるにとどめていることの理由は、個人情報保護が理由です。
地方自治体が個人情報保護を求める住民の声を尊重して、地方自治の立場から閲覧にとどめていることに対し、安倍首相が憲法改正まで口にするのは、戦前の日本が国民の人権や地方自治の上に軍隊が君臨したように、とにかく個人情報を理由にするのはけしからぬ、名簿を出せ、地方自治や人権よりも防衛省・自衛隊の要請が上だと言っているようなものです。
戦前の地方自治体は、国の出先機関として戦争遂行の一翼を担わされました。
国の言う通りに追随していたら、自治体は、戦争荷担の、侵略の先兵になってしまう。これが満蒙開拓団に多くの人々を送り込んだ長野県、市町村の教訓です。
長野県は国策の満州国建設の、全国でも群を抜いて約3万3千人余りの県民が村を上げて開拓団として、満州に渡りました。校長の指示のもと担任の先生が説得し青少年義勇軍となった生徒も含まれていました。「幸せになれる」という国策のもとで、渡った満州で待っていたのはソ連侵攻と死の逃避行でした。
長野県中野市・東山公園の高社郷開拓団の慰霊塔には、「終戦も信じられず集団自決した六百余名の霊を慰めんとしてこの碑を建立す」と刻まれています。
アジア太平洋戦争の反省から、憲法92条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」とし、住民自らが行う住民自治と自治体自ら権限と責任をもつ団体自治を原則としています。国の主権者は国民で、自治体の主権者は住民です。決定権は住民にあります。国家が決定するわけではありません。
地域の人の意見を聞きながら地域で決めていく。問題が出れば一旦止めてでも話しあう。これが地方自治の本来の形です。
私たち住民は国を見て、県政を見て、市町村の政策を見て、考えて行動していく時だと思います。ただ国の言うなりになっていないか。地域に住む人の意見を聞ける自治体なのか。
動かしていけるのも、また私たち住民です。