「キムの十字架」という本を知っていますか?
私が知ったのはまだ小学生の頃、親子映画のアニメーションとして見たことが最初でした。
キムの十字架の著者和田登さんは長年に渡り、松代の地下壕やそこで働いていた人々について取材され、また本にしてきました。
私がこの言葉や映像を思い出したのはそれから20年以上たってからでした。
政治には全く関心がなかった学生、社会人時代、平和や他の国についても興味は持てませんでした。
しかし安保法制以降、自衛隊に知り合いもおり他人事ではなくなり様々な勉強を通して出会いがありました。
和田登さんもその1人です。
韓国人への差別は昔から続いてきましたが、近年ではとりわけ大きく韓嫌、ヘイトといった言葉が飛び交い世界中の人が目にするSNSでもひどい言葉が蔓延しています。ヘイト書籍や雑誌が平然と本屋の目立つ場所に並んでいることもあります。
そして徴用工問題も国と国の問題として大きく取り上げられるようになり、もう一度歴史から勉強し直そうと小さな学習会が私の身近でもありました。
松代地下壕になぜ、朝鮮人がたくさん働きにきていたのか、それは自主的だったのか、働かされにきていたのか。
それはもう1900年前後の日韓の関係性を見れば一目瞭然だと分かりました。不平等な約束を結び、不平等な関係の中、母国の言葉を奪い、名前を奪いました。
「募ったが募集はしてない」どころではなく「募集ではなく動員、強制連行した」だったのです。
だから、戦後に結んだ条約も賠償ではなく経済協力金だった、しかもその経済の名のもとに設けたのは日本の企業だったのです。
私は韓国の立場に自分をおけば、まず納得はしないし劣悪な条件で働かされ続け、人権を無視され続けた人達へ国として謝って欲しいという気持ちになるのは当然と思います。
2月になり、信濃毎日新聞が松代地下壕に動員された朝鮮人の名簿から、そのご家族が韓国で存命であり証言を聞くことができたと記事にしました。これは歴史を正しく見るためにとてもとても大きなニュースです。
長年に渡り自分の身近な問題として松代地下壕における朝鮮の人々について調査してきたのは個人や市民団体がほとんどです。動員に関わった企業は元より日本政府としてはほとんど情報の開示はしてきませんでした。しかしこうして今、大きな前進を見せたのはこれまでに関わった多くの市民の実績と思いと繫がりではないでしょうか。
和田さんはこう言われました。
歴史を知る中で、過去と現在の自分が必ず繋がる時がくる、と。
私は今、キムの十字架という言葉が過去と現在の自分を繫ぎ、正しく歴史を知ることの意味、差別してきた国への罪の重さを理解しました。そして自分の国に対しては、「中でも外でも嘘をつくな。誤魔化すな」と言いたい。そして傷つけた相手が求めることを謝罪とともに態度で示し、対等な関係でアジアの仲間として外交をしてほしいのです。
私の周りの小学生はアイドルグループ、TWICEが大好きです。国籍も性別も関係なくかわいい、歌がうまい、ダンスが好きと言います。
グループの彼女たちも国と国との関係も分かりながら活動をしていることでしょう。
TWICE始め韓国のグループや俳優女優さんが好きな子どもたちが国の都合や大人の差別感情で、流されて好きだった気持ちを隠したり押し殺したり、やめてしまわないだろうかと懸念します。
私は歴史を知った大人として、何が出来るだろうか。
「誰が何と言おうと好きなもんは好き!!」の小学生の言葉に後押しされながら、これからも歴史を正しく学ぼうと今日も思うのです。