日本は太平洋戦争後、その大きな反省を憲法に込めました。時の権力が暴走しないように。情報が隠されないように。人権が侵されることのないように。そして二度と戦争を起こさないように。
しかし今日に至るまでには武器輸出三原則は事実上なくなり、今は平和貢献のための「移転」と言葉を変えて外に出せるようになり、ミサイルなどを共同開発したりしています。国際貢献と聞こえの良い名前の下、日本が製造したものが戦闘で使われ人が死ぬ日がもう来ているのです。安保関連法だけでなく2013年の特定秘密保護法成立や2016年通信傍受法改正、そして今国会の共謀罪法と国の形を変える仕組みは整いつつあります。
太平洋戦争はある日突然始まったわけではありません。市民の生活への変化もひたひたと、教育現場での変化も次第に。様々な法改正の中、国民が戦争を受け入れざるを得ないような、また「おかしい」と声をあげられないような仕組みが整った上での開戦だったのです。日常が日常でなくなり、家族や親せき、近所の男の人が兵隊として戦争へ行き、死に、その死さえも当たり前のこととして受け止めなければならなかった異常さ。あの時代、自分の大切な人や子どもに「行かないで」「死んではいけない」と声を上げることもできないまま戦地へ送り出した母親の行き場のない悲しみ、怒り、自責の念。「しょうがなかった」は、もう絶対に繰り返させてはならないのです。
子どもは生まれてくる時代を選べません。産まれた場所が戦場であればそこで生きていくのです。そしていつも犠牲になるのは市民、子どもです。戦争や紛争にどんな理由をつけても命を奪うその行為に正しいことなどはひとつもありません。
戦争の反省の下、国民が受け入れた日本国憲法9条。その精神を「自分の国の子どもをころさせない」ためだけの戦争放棄ではなく「世界中の子どもを誰一人戦争でころさせない」精神として武力での紛争解決ではない道筋を世界の先頭に立って作る国であって欲しいと願います。
この間、何よりも強く感じたことは今の子どもたちに多くを求めるよりもまず、今の大人がもっと主権者としての意識を持つことが必要なことではないかということです。まったく政治へ興味を持たず生きてきた自戒を込め、親である前にまず1人の大人として、無関心と「答え待ち」によりこの国を今の流れに導いた者として責任を感じます。目の前の変化に絶望することなく小さくても足元でできることを、同じように「知りたい」「何とかしたい」の気持ちを持つ人とつながり模索していきたいと思います。